るもい歴史めぐり【留萌市ガイドブックWEB版】
留萌の文化を象徴するもののひとつに「鰊(ニシン)」があります。
江戸末期から明治、大正、昭和と100年以上にわたり、ニシン漁が人々に与えた恩恵は暮らし・文化・芸能と建造物から産業にいたるまで色濃く残っています。
ニシン漁の終わりを告げたのは昭和30年頃のこと。
それまで培われたかずの子の水産加工技術は、かずの子生産量日本一を誇るマチとして現代でも留萌の人々の誇りになっています。
江戸末期から明治、大正、昭和と100年以上にわたり、ニシン漁が人々に与えた恩恵は暮らし・文化・芸能と建造物から産業にいたるまで色濃く残っています。
ニシン漁の終わりを告げたのは昭和30年頃のこと。
それまで培われたかずの子の水産加工技術は、かずの子生産量日本一を誇るマチとして現代でも留萌の人々の誇りになっています。
旧留萌佐賀家漁場
留萌市から国道231号線を増毛町に向かい、礼受漁港を過ぎた山側に文化遺跡「佐賀番屋」があります。ニシン船や当時の漁労道具なども保存され、期間限定で見学もできます。
令和5年度一般公開日 8月2日(水)〜8月8日(火) 午前10時00分から午後4時00分まで
令和5年度一般公開日 8月2日(水)〜8月8日(火) 午前10時00分から午後4時00分まで
日和山 烽火台跡
「海のふるさと館」は黄金岬を見下ろす高台にあり、かつて日和山と呼ばれていた場所。江戸末期、煙や火を焚き「のろし台」として使われていました。
五十嵐億太郎像
留萌の基礎を築き、留萌港開拓の父と呼ばれる「五十嵐億太郎」留萌発展の為に生涯を捧げた人物として立像と五十嵐億太郎翁彰徳碑が千望台にあります。
三船犠牲者慰霊碑
留萌沖で樺太からの引揚船三隻が潜水艦による魚雷攻撃を受け、約1,700名の犠牲者が出ました。ふるさと館横の公園内に犠牲者の冥福を祈る慰霊碑があります。